熊本城

・町のシンボル
 熊本市内の中心部の高台にある熊本城は、近辺の繁華街のどこからでもその姿を臨む事ができます。それは周辺に建物を建築する際、高さ制限があり、視界を遮らないようにしているからだそうです。繁華街には商業施設やオフィス等も隣接していますが高層ビルと呼べそうなものは存在しません。また、JR熊本駅から延びる路面電車に乗ると、ちょうど熊本城の見える十字路で直角に曲がるので、住んでいなくても学校や仕事などで通うような事があれば日常的に目にする事でしょう。地下鉄ではなく路面電車なのは湧水地帯なので掘るのには向かないからだそうですが、日常の景色の中にお城が自然と、こちらが意図せずとも目に入ってくると言うのは、とても趣深いと思います。

 

・修復に向けて
 2017年の熊本地震で一部が崩れた石垣は、訪ねた当時(2018年8月)の時点で天守閣ごと修復の作業をしていました。下の石垣の代わりに鉄骨が支えていて、周りにも足場が組まれ、クレーンが2つ作業をしていました。下から太い支柱が天守を支えているのですが、宙に浮いた城のようにも見えてとても不思議な光景でした。崩れた石垣は、天守に登るまでの道横の芝生の上に種類別、番号順に並べられていて、組み直すための準備はできているように思いました。熊本城自体はこれまでに江戸期・明治期など何度かか地震・災害のによって被災をしているそうです。地震に強い城作りや、万が一崩れた時の対処等は常に考えられていたのかもしれません。壊れた時の対処、壊れた時も被害を最小限にするような工夫は、地震や災害の多い日本という国の建築特有の物かもしれません。

 

・南向きの櫓
 城は機能の一つとして、軍事拠点の役割も担います。今は時代がくだり、先の震災もせいもあって顕著には分からないのですが、熊本城の櫓は南側に建てられた物が多いそうです。つまり南にいる『敵』に目を光らせています。熊本の南にいるのは薩摩の島津氏です。俗に『鬼島津』などと言われていたりするのは、時代小説の類から独り歩きした風評じゃないかなと思っていましたが、実際その場に立って、話を聞かせてもらったりすると実感が伴ってくるので、櫓(物見以外にも城からの攻撃・城の防衛の拠点になります)を他の方角より多く配置するほど強く、ここを治めていた歴代大名、江戸以降は細川氏が策を巡らせいたんだろうな『泰平の世』とは言え、ちゃんと押さえる所は押さえていたからこその三百年の幕府だったんだなと考えを改めました。