足利学校

概要

足利学校
〒326-0813 栃木県足利市昌平町2338番地

 

 

日本最古の学校/大学

「昔の学校」と言って、私の頭の中に思い浮かぶのは、いわゆる寺子屋と言うのがずっとありました。それはもう、小さなお堂で子供たちが書写をしているようなイメージで。ですが、足利学校へ向かった時、手前にある歩道橋の上からその全貌が見えるのですが、まず思ったのはとにかく広い、お寺と言うよりは屋敷に近く日本庭園完備。読み書きを教えてもらう所ではなく、何某かの学問を修める高等教育に近いのではと、入る前の印象として思いました。そして、チケットに当たる物には「足利学校 入学証」と書いてありました。訪ねると言うより、一人の学徒になってこの学校を訪ね、見ると言うのは、何やらとても新鮮でした。世界最古と言うのは諸説ありますが、フランシスコ・ザビエルがこの学校を伝えている際、おそらく扱いとしては、ヨーロッパにあったボローニャ大、パリ大、ケンブリッジなどと同等の最高学府としてだったのではと思います。

 

衆寮

門をくぐって校舎に当たる母屋に向かっていく途中に、小さな長屋のような建物があります。中を見物することができ、覗いてみると、土間と六畳間の小さな部屋が連なっていました。いわゆる学生寮と言ったところでしょうか。文机の数からして六畳の部屋を二人使う形だろうと思うのですが、少なくとも一人一部屋悠々と使っていたわけではなさそうです。何せこの学校には日本中から学生が来ていたのでしょうから。遠方からの生徒が寝泊まりし、かつ夜遅くまで勉強ができるようになっていると言うのは、その当時から学生が学生たらんとするのに最低限の用意がなされていたように私には思えました。私自身、学生寮にいたことがありますが、寝床と机と小さな本棚兼クロークがあるだけの所でなんとなくそれを思い出しました。行燈が置いてあったので、夜の深くまで勉強していた学生もいたかもしれません。

 

宥座の器

母屋の玄関を入る手前に、井戸のような物がありました。遠目には井戸のように見えたので、手洗いうがいはいつの時代も変わらないのかなと思って近づいてみると、まったく違うもので、「宥座の器(ゆうざのき)」と言う物でした。お鍋を縦長につぶしたような形の器がつるされていて、説明を読んではみたものの、何やら哲学的なそれは雲をつかむようでピンときません。わからないなら実践してみるまで。空っぽの時はとても不安定に揺れていますが、適度に水を入れていくと次第に安定していきます。しかし欲張って満たそうとすると、再びバランスを崩してひっくり返ってしまいます。「何事も程々に」や、勉強とは異なりますが「腹八文目」と言う言葉が頭をよぎりました。おそらく、勉学に励むのもいいけれど、根を詰めすぎないようにと言う意味を込められているだと思います。何事も「適度」と言うものを先人は勉強をするにあたって示したかったのかもしれません。

 

方丈

母屋と呼んでいる場所は、方丈と呼ばれる大きな分厚い茅葺屋根の建物の事なのですが、入ってみるとなんとなくそこは親戚のお寺の本堂にも似ていて、懐かしいと感じました。北側には須弥壇、その両脇にはお位牌が置いてありました。ちゃんと読んでみると徳川家康を始め歴代の徳川将軍の名前が並んでいました。これは寺子屋と言うのもあながち間違いではないかもしれない、なぜならある程度の敷地を持ち、広い間のある建物を持っていて、なおかつそれが公共の場として開かれている場として、お寺と言うのはうってつけだからです。そしてご本尊のある須弥壇はこじんまりしていて、装飾も華美ではなく、須弥壇のある間を中心に三つの広間が繋がっていると言うのも、勉学に励む場として適していたと思います。

 

漢字試験

足利学校の方丈の中では、「足利学校漢字試験」の初級を受けることができます。せっかくなので自分も受けてみる事にしました。問題は大きく分けて音読み、訓読み、十字に並べられたマスの真ん中の漢字をあてるもの。出題に使われているのは常用漢字で、音読み、訓読みそして熟語もおそらく小学生履修範囲だと思います。冷静に考えられますが、実際にその漢字試験を受けてみると、初段と二段に上がれるこの試験で、あと二問で二段と言うラインでした。なお、読みと、熟語を思いつくかと言う問題なので、現代にありがちなパソコン作業による漢字を書く機会の減少は影響は受けない出題形式です。そして、小学校の頃と言う学習の基礎を学んでいた頃の事が、現在に至るまでどれだけ身について残っているかを測ると言う意味でもこの試験はおもしろいなと思いました。

 

方丈をはさむ二つの庭

方丈をはさんで南と北に立派な庭があります。両方とも池や石庭、草木が揃えされていて、小振りの日本庭園のようでした。南側の庭園は、障子をあけ放てば方丈からもよく見えます。ちょうどその南に向いた縁側の近くに宥座の器を小さくした物が置いてあって、勉強するにおいて「無理をし過ぎない」と言う事を思い起こさせてくれます。講義の合間に庭を見て、息を抜いた生徒もいたのではないでしょうか。北の庭は、一度方丈から出てその裏手に行く必要があります。南側と違って常に人目に付くわけではないので、どちらかと言うと、習ったことを頭の中で整理したり、自分で考えを巡らすのに静かでもってこいの場所だと思いました。大学に関しては必ずしもそうだとは限りませんが、いわゆる「校庭」のように休み時間を使う場所が勉強をする場所には併設されているのかなと思いました。

 

学業と受給自足

この学校の中には、庭に並んで、おそらく後から作られただろう菜園が北と南の一角にあります。もちろん農具一式もあれば貯蔵をする場所、そして、方丈の東側の土間はいわゆる台所です。寮があるくらいですから、その学生の食の部分もきちんと支えているのがわかります。今のように食育を兼ねている学校給食とは異なりますが、勉学に励む者にとって、食が保証されている、食べ物の心配をしなくてもよいと言うのは、やるべきことに集中するのに大変助かったのではないかと思います。遠方からの学生を含め、ここに学びに来た学生達が、不自由なく勉学に勤しみ、集中することのできる環境を、どうしたら整えられるのかと言うのが試行錯誤されていたのを感じました。

 

聖廟

学問と言えば、当時教えていた物を考えたらその祖に当たる孔子の霊廟があるのは不思議ではありません。敷地内、ちょうど方丈の西側にその霊廟はありました。小野篁も一緒に祀られていました。学問の祖、この学校の祖見に見守られて勉学に励むと言うのはどういった心境なのでしょうか。見張られていると言うよりは、見守られていると言う感覚に近いのではないかと私は思います。東京でも、聖橋の近く、湯島天神へ行く通りに、東京大学発祥の地の地にも聖廟と称して孔子の廟があります。やはり、大学ある所には孔子なのでしょうか。海外もみな同じとは申しませんがパリ大学(いわゆるソルボンヌ)の近くには霊廟としてのパンテオン、学校の近くにはモンテーニュがひっそりといます。偉大なる先人たちはお目付け役ではなく、勉学をしている学生たちを見守っているように私にはおもえます。

 

==>日本の学校跡


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